大正期に大阪朝日新聞懸賞小説で入選し、将来を嘱望された女流作家がいた。

 田中古代子(1897-1935)で、非命にたおれた38年だった。

 いつ、どこで、どのようにして文学に開眼したのかはしらない。
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 小説を書き、詩を書き、随筆を書き、そしてそれは東京へと結びついていた。だが、上京したときは創作意欲、体力とも萎え、ふくらみかけたがシャボン玉のようにしぼんだ。

 一篇の作品にであい、そこから作家の魂をさがし求めている。

 わたしが編んだ『田中古代子詩集 暗流』(1992年1月1日)の詩片には、国木田独歩の現実的浪漫主義の影響がかもしだされる。

 文学の師とあおぎ、手本としたのは樋口一葉だったが、日ごろの愛読書は独歩の作品だったことからすればうなずける。

 代表作「諦観」(あきらめ)を読む。

 みずみずしい弾力がある。生の矛盾や、悲哀を日常の小事から書き進めている。
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 衆目の評価で、有島武郎、大仏次郎も力業を期待した大きさがうかがわれる。

 随筆「二種の夢と私の存在」は、女性として生きる葛藤を描く。

「人魚のように躍動して家庭の凹地から人間の地平線の上へ出たい」

 としながらも、

「裁縫、洗濯、足袋の鼻緒の修繕も、喜ばしい使命としてふみにじりたくない」

 と。

 もっとも充実した26歳のときだ。

 彼女を形容して自由奔放、モダンガールと、のちになっていわれたが、一面だけであろう。

 ひたすら自分に正直に表現した覚悟に惹かれる。小説を書く、ということに多くのひとは「自由」のイメージをもつが、近代の芸術家たちは、みなとても不自由である。